表彰式後のトークショーでは、当コンペを主催した一般社団法人未来ものづくり振興会代表理事でシヤチハタ株式会社代表取締役社長の舟橋正剛がモデレーターを務め、審査員の後藤陽次郎、中村勇吾、原研哉、深澤直人、および特別審査員の岩渕貞哉の5氏による講評や質疑応答が行われました。その模様をご紹介します。
舟橋あらためまして、皆さん、おめでとうございます。審査員の方々はおっしゃりたいことがたくさんあると思いますし、受賞者の皆さんもご自分の作品のどんな点が評価されたのか講評をお聞きになりたいと思いますので、早速始めさせていただきます。では、審査員の深澤さんからお願いします。
深澤まず、グランプリと準グランプリの3作品を審査した時に感じたことを申し上げますと、やられた感というか、悔しいなと思いました。特にグランプリを受賞されたBAKU DESIGNさんの「|x|^5/2+|y|^5/2=1」。20世紀のドイツを代表する偉大なグラフィックデザイナーでありタイポグラファーでもあるオトル・アイヒャーという人がいるのですが、彼は四角から丸に移行する段階を全部線で描き起こしていて、移行していく時点で一番美しい形を残しているんです。はじめて見た時、私も衝撃を受けました。それが計算式でできているかどうかはわかりませんが、人間がいちばん心地いいと思える形であるということは立証されていると、聞いたことがあります。その形が、今までなかった、しかもなかったことに誰も気づかなかったハンコとしてここに登場したことは、発明と言っていいくらいのとんでもないことで、自分がやりたかったなと悔しくなりました(笑)。
準グランプリの「名前柄紋様」も、見た時に「おお~!」と思いました。パターン化した名前が読めそうで読めない、読めなさそうで読める。プロフェッショナルな回答を出してきたなと感心しました。
「シヤチハタの切手」は、朱が切手の形で手紙や貼られてきたら、ちょっとびっくりするなと。強いシンボルがここに表現されているところが素晴らしいと思いました。
この3作品はどれも非常に実用性が高く、かつ社会的な影響力もあり、称賛されるべきものだと思います。
舟橋深澤さんから受賞者の皆さんにお聞きになりたいことや、逆に受賞者の皆さんから深澤さんにお聞きになりたいことがありましたらどうぞ。
田島「あなたに寄り添うハンコ」で深澤賞をいただいた田島和久です。せっかく大好きな深澤先生から賞をいただいたので、何かコメントを頂戴できればと思います。
深澤表彰式の時に、奥様がつくった磁石を貼りつけたシヤチハタ印がヒントになったとおっしゃっていたので、賞は奥様にお贈りしたいところですが(笑)、しるすものがあちこち探さなくてもすぐ身近にあることの重要性に着目し、単に印面だけでなく、行動行為に即した提案をされていたところがとても良かったと思います。それも非常にシンプルに表現されていたので素晴らしいと思いました。
田島ありがとうございます。嬉しいです。賞金は妻に献上します(笑)。
原僕はこのコンペの審査が毎年楽しみなんです。このメンバーが集まって、「これどう思います?」とかいろいろやり取りしながら賞が決まる瞬間がスリリングで面白いんですが、今回はグランプリが数式ですからね。この数式は深澤さんも僕も知らなかったんですが、数学というのはすごいものだなと思いました。数学の「mathematics」という言葉は、語源を遡ると「すでにわかっていることを、わかり直す」という意味なのだそうです。人間は重力の法則はわからなくても立ったり歩いたりできるわけで、後になって、なるほどこういう理屈だったのかとわかる。つまり、体がすでに知っていることを、理性の上でわかり直す作業が数学なんですね。今回のグランプリ作品も、デザイナーが身体感覚で散々探り当てようとしてきたことが、見事に数式で論理的に表現されている。そこが数学のすごいところだなと思いました。しかし、その数学を探し当てたのはデザインだろうと思うんです。そういう点で印象的な、まさにグランプリにふさわしい作品だと思いました。
「名前柄紋様」は、最初「原」と書かれているとは思わなくて、自分の名前をこういう造形で捉えたことがなかったので、わかった時にぞっとしました。これだけ簡潔に、なおかつパターン化して、ほとんど文字に見えないところまできれいに追い込んでいる。その造形力に驚きました。
「シヤチハタの切手」も、朱いしるしだけを貼るというのはすごく素敵だと思いました。数字が入った本物の切手になってもいいんですけど、そのままでも大事なものを差し出すときに、こういうしるしが貼られているとドキッとしますよね。しるすという能動性をきちっと捉えている感じがあって、実際にできたら僕は欲しいなと思いました。
原賞の「結紐」は、水引ではなく、組紐にしたところがいいですね。これでちょっと結ぶだけで気持ちが伝わりますし、能動性が生まれる。結び方を解説した小冊子をつけて空港で売ったら、外国人も興味を持つんじゃないかなと思います。そういう場面がいろいろ想像できたので、その面白さを評価しました。
中村僕は、まず全体の傾向として、どんどん高度な戦いになってきているなという印象を受けました。SNDCが再開したばかりの頃は、A3の紙で大体内容が伝わる企画もののような提案が多かったのですが、今回の受賞作はどれもモノとしての繊細な感覚を備えていて、実物で示されないと、そこに込められた細やかなこだわりやセンスがわからないような提案が多かったので、大変興味深く審査させていただきました。
受賞作についていくつか触れると、「名前柄紋様」はとても面白いなと思いました。名前のパターンを生成するというのは、一見デジタルでできそうだけど、実際には人間のいろいろな発想がないと絶対につくれない。僕は仕事柄、全部の名前をどうやって展開するのか、そういうプログラミングを考えるんですが、これは無理だなと。なので、日本人の苗字をほぼカバーできると言われる7000の漢字を、ぜひ考えていただければと思います(笑)。
去年「Shachihata PAPER」という朱い紙を積み上げた作品があって、空間の中に朱い塊があるというインパクトが評価されたんですが、それが切手の上に表現されたのが「シヤチハタの切手」かなと。朱の置き場というのはいろいろなところにあって、その置き場所を見つけたところが最大のデザインのポイントだと思います。
中村賞の「グリッド 五ミリ」については、僕は基本的にデジタルで絵や図を描くんですが、そのデジタル以降の感覚がアナログの中で復活しているような感じがいいなと。最近のデザインのトレンドでもあると思いますが、デジタル以降の感覚がフィジカルに気持ちよく再現されるところに魅力を感じました。
舟橋では、皆さんから中村さんに何かご質問はありますか? 中村さんからも皆さんにお聞きになりたいことがありましたらどうぞ。
中村去年も準グランプリを受賞された石川和也さんに質問です。SNDCを完全に分析されていますが、何か必勝法があるんでしょうか?
石川僕、これからのシヤチハタの存在の仕方を考えた時に、やはり事業として展開できることがいいだろうと思ったんです。今後はデジタルがどんどん普及して、アナログとデジタルを行き来していく未来が現実味を帯びてくると思うので、アナログのモノをつくる、その手段をデジタルが補完していくということをテンプレートに考えて行けば、世の中に受け入れてもらえるような、リアリティのあるアイデアになるんじゃないかと。去年もアプリを使って自分のサインをハンコにする作品を提案したんですが、今回もアプリなどを使いながら自分のオリジナルの物をつくれたらいいなというアプローチで考えました。
中村やはり大分、攻略されてますね(笑)。審査の時は応募者のお名前はわからないんですが、来年、また出会ってしまった!ということになるよう、ぜひ頑張ってください。
後藤今回は過去最高の1200点を超える応募があったと聞き、非常に嬉しく思いました。一次審査で300点くらいに絞り、そこから2週間ほどかけてプレゼンボードを全部見るわけですが、1回だけでなく、脳裏に残っているものをもう一度見直したりしながら、本当にこれは世の中にない新しい提案なのか、あるいは古くても今の時代に新しく映るものなのか、そういうことを考えながら選んでいきます。「プレーン、シンプル、ユースフル」は、私の師匠であるテレンス・コンラン卿の教えですが、その中で私が審査する上で一番重きを置いているのが「ユースフル」。商品化され、お客様が使って、それが暮らしに役立ち、生活が楽しくなる。モノにはその視点が大事だと思っています。
グランプリの作品は、実は、初めはスルーしたんです。この楕円は見慣れた形でもあり、それはイコール、気持ちいいんですよ。少しの違和感もない。だからスルーしてしまったんですね。でも最終審査の時に、我々インテリアの業界でもいろいろなモノの心地よい形を常に追求しているわけですが、ハンコで気持ちよさを追求したものは今までになかったんじゃないかなと。実際に捺してみたら、持ち心地も、捺した後の印章も、非常に気持ちよかった。商品化したらぜひ欲しいと思っています。
シヤチハタのコンペなので、応募作品もハンコの比重が高くなりがちな中で、「名前柄紋様」はパッと目を引きました。ファブリックというのは汎用性があるし、名前をパターンに落とし込んだデザインが素晴らしい完成度だなと。画数の多い苗字や字数の多い苗字だとどうなるのか、ぜひ見てみたいですね。
「シヤチハタの切手」は、何でもない形ですが、縁の滲みなどディテールまで考えられていて美しい。審査の時に深澤さんが「これはアートだ」とおっしゃったんですが、その意味がよくわかりました。
最後に後藤賞の「次の素材」ですが、これは表彰式の時に作者ご自身がおっしゃっていたように、ごく普通の発想なのかもしれません。でもこれからの時代において、リサイクルによって新しい印材が生まれ、それがジャンルを超えいろいろな業界で使われる素材になれば面白いと思うんですね。素材メーカーとのコラボレーションに期待し、ぜひ暮らしを彩るようなマテリアルを開発していただきたいと思います。
舟橋印章業界は、ワシントン条約で象牙の輸入が規制され、印材がだんだんなくなってきているのが現状です。弊社は浸透印だけで印鑑は扱っていないんですが、新しい印材の提案を期待されている立場なので、こうしたご提案を参考に、一生懸命研究をしていきたいと思います。
岩渕僕は全体の印象をお話したいと思います。SNDCが2018年に再開した当初は、押印をデジタルとつなげて個人をどう認証し、アイデンティティを示すかという提案が多かったと思います。しかし、ハンコのビジネスや公的な場面での使われ方が変化していくなかで、押印自体の役割が少しずつ変わっていて、今回のコンペでもその影響が見受けられたと思います。今回は「しるす」という行為の儀式性に着目するものだったり、印章がもともと持っていた文化的な面に着目しているものが目立ちました。また、しるしを通じて人と人とがつながるコミュニケーションの要素にも注目が集まりました。厳かで儀式的なものと、気軽なコミュニケーションという2つの要素が、押印の新しい価値として浮かび上がってきたなと感じました。
とはいえ、テクノロジーの進化にともなう新たな可能性もあって、特別審査員賞の2作品は、なかでも新しい素材や、個人を認証する際の味気なさに彩りを添えるという点に着目していて良かったです。
舟橋特別審査員賞の「mine」は、実は非吸収面に隠しインキできちんと捺せるハンコは世の中にほとんどなく、商品化するにはいろいろなハードルがあるので、この作品はそうした現実的な問題をよく見て考えられていると思いました。「わたしだけの色々」は、個人認証の形としてこういう意味のある色を世界中の人が持ったら面白いだろうということを常々考えていたので、そこがバチっと出てきて大変興味深かったです。
司会最後に、本日ご欠席の喜多様からお預かりしたメッセージをご紹介させていただきます。「喜多賞の『emo.pen[えもペン]』は、自分の顔の輪郭印に目や口など一筆加えることで、その時の感情や思いを残し、伝えるというユニークなアイデアです。人の手が加わるその瞬間、可能性が広がり、暮らしにうるおいをもたらす。メッセージや文章、写真などに思いを加えた、この私のしるしは、時間が経ってもその時のかけがえのないしるしとして残されます。このたびの応募作品には、未来に続くしるしとして、テクノロジーとクリエイティブの力で新しい扉が開く試みが多く見られました。今回のグランプリは、しるしの原点に美を加味した作品が選ばれました。原点と未来志向テクノロジーは、さまざまな可能性があります」
舟橋SNDCは再開以降、しるしにこだわって開催しておりますが、今回、皆様からのご提案を拝見し、しるしの意義深さをあらためて思い知りました。もうしばらく、しるしで粘りたいと思いますので、ぜひ次回もたくさんの方々にチャレンジいただければ嬉しく思います。皆様、どうもありがとうございました。
執筆:杉瀬由希 撮影:稲葉真