――今回、建築家の大西麻貴さんがゲスト審査員として参加されます。どのような変化がありそうでしょうか?
大西さんのことはよく存じ上げているわけではないですが、昔の大文字の建築じゃない、新しい建築のあり方を模索している人というイメージが漠然とあります。建築的なことも、プロダクト的なことも、仕組み的なことも、シームレスに捉える方という印象を持っています。
このコンペは、小さなプロダクトのイメージがありますが、独特の角度から何か言っていただけると面白いんじゃないかな。大西さんのような大きいスケールから小さいスケールまで、いろんなものを同じような考え方で作っている方が入ってくれるから、コンペにおける暗黙のスケール感の前提みたいなものも、もう一回捉え直してもいいのかなと。なんか、テーブルの上に乗るものが多いですよね。椅子ぐらいのスケールですらあまり出てこない。
――「つながるしるし」が第18回のテーマですが、なにを感じましたか?
インターネット以降「つながる」という言葉が多用されつづけ、実際ありとあらゆるものがつながったかのようにも見えますが、その上で、これまで見えていなかった「つながらなさ」「つながってなさ」が顕在化しつつあるのが昨今のように思います。つながる社会の中で、この「つながらなさ」をどうしていくのか、興味があります。
ここ20〜30年間ずっと、僕はインターネットというツールを通じて、いろいろなものをつなげることをしてきて、実際につながる様子も目の当たりにしてきました。でも、かなりのものがコミュニケーションとしてつながった結果、「フィジカルにはつながっていても、やっぱり人と人はそんなにつながっていなかった」ことがより明らかになる様がありありと見えてきました。こんなに分かり合えないんだ、みたいな。
僕ら世代はつながることに対してユートピア的な幻想をずっと持っていたので、この10年ぐらいは「本当につながったらこうなるんだ」みたいなことを、呆然と見ている感じです。
だから、回路としてつながればいいという話ではなく、つながり方の構造や、あるいは大西さんの文脈でいうと、インターネットでインスタントにつながることではない、つながり方の作法みたいなのが大事なんじゃないかな。あるシンボルを媒介にしてつながるという、容易に考えやすいお題ではあるからこそ、一歩踏み込んだところから考えられるといいと思います。

――アプリやオンラインの作品もありえるのでしょうか。
あったらあったで面白い気がしますけどね。ただどうしても、アプリなどはインターネットの出始めに考えていたことが一周しました、って感じはあるんですよね。「こんなことが実現できたらいいんじゃないか」とまことしやかに言われていたことが、できたな、という感じは昨今あって。で、どうなんだっけ?みたいな。
大学の課題で、旧Twitter、今のXのリデザインの課題を出したことがあるんですよ。どうやったら、もう少し良いSNSになりますか、と。だから既存の、すでにできているものをどうつなぎ直すかというようなことも面白いかもしれない。課題で出てきたのは、フォロワーのような仕組みが、そもそも違うんじゃないかみたいな、構造レベルで考える人もいれば、UIの体験に対するアプローチもありました。

――最近、気になった「しるし」はありますか?
生八つ橋の西尾のロゴが面白くて、心に残るしるしのデザインとはなんだろう?と改めて解らなくなり、面白かったです。単純にこういうのってどう考えてデザインしてるのかって、デザインした北川一成さんと一緒の場所にいたので「なんでこんな形してんすか」って聞いたんですよ。そしたら「聞くもんじゃありまへん」みたいに言われて「ま、ですよね」みたいな感じだったのを、ちょっと覚えていたんですよね。
いわゆるブランディングの世界って、普段はロジカルな戦略を立てて考えている人たちでも、たまにふわっと「手で作っちゃいました」みたいなものがあって。原さんのメインビジュアルもそうだし、北川さんのロゴもそうだし。そういうのは自分に全然ない要素なので、誰かとお会いしたときによく聞くんですよ。だいたい完全にスルーされるんですけど(笑)。ちょっと想定外の角度から来たものというか、みんなが共有しているロジックの外から来たものって、やっぱり気になるんですよね。普段、デザインをやっている人から、ぽろっと外にはみ出てきたその感じは、なんていうか、気になります。
取材・文:角尾舞