――今回、ゲスト審査員として参加される大西麻貴さんご自身や、彼女の作品の印象について伺えますか。

まるで建物自体がフリーハンドで描かれたような印象があり、美しいです。あまりそういう人を見たことがないですね。手で始めているようにみえるアイデアで、すごく人間味を感じますが、なおかつ洗練されています。プロのデザイナーの視点から見て、形が上手ですね。面白い審査になるんじゃないでしょうか。


――大西さんという建築家に今回ご参加いただくことで、どんな変化が期待されますか?


素直なリアクションに期待したいです。「つながるしるし」と言われても、それについて考えたことってあまりないですよね。審査員一同、同じですけれど。咀嚼するのに少し時間がかかります。だからきっと大西さんも同じじゃないでしょうか。作品を実際に見た時に彼女が受け取った印象をそのまま反映いただければと思います。
「しるす」という行為を一般的に考えると、人間そのものの身体に近いしるしや、書くものが思いつくと思います。しかし建築はスケールが大きいので、大地とか地図とか、あるいはサインとかが出てきそうです。もしかしたら建物自体も「しるし」かもしれません。


昨年の最終審査の様子。

――深澤さんは「つながるしるし」というテーマを聞いてどのような印象を受けましたか。


いつも表現者としてコンペに参加しているような気持ちで、とっさに想像するんですが、いいテーマだと思います。ちょっと難しいですよ、今回は。まず、何をつながりとするのか。つながった瞬間がビジュアルとして表現されるのか、マインドとして表れるのか、また別のセンサーなのか、時間もそれに含まれるのか。色々な要素が入ってきそうですね。全然つながり合っていなかったことが、ある瞬間何かによって急につながっているとわかった、みたいなことが出てくると面白いんじゃないかな。ちょっとベタだけど、赤い糸で結ばれていました、みたいな(笑)。人間はそういうメタファーを持ってきたじゃないですか。さらにいえば一対一じゃなくて多数かもしれない。


――プロダクトデザインにおいてつながるってどういう状況でしょうか。


「共感」じゃないですか。あなたの感覚に同意します、ということ。たとえば、あるブランドのものを買う人は、店舗に入った時点でその活動に共感していることも多いです。そういうつながりを持つ人が集まって買い物をしている側面があるなと。 同意とか共感とか、感動も「つながる」と言い換えられるんじゃないですか。ある事象に感動したときに「私はつながった」と捉えられるんじゃないですかね。


昨年の表彰式・クロストークの様子。

――つながるという言葉を自分でどう解釈するかも大事そうですね。


大事ですね。しかも、いかにもつながるような仕組みに入ってつながっても、きっと面白くない。あるとき突然つながった、偶然つながった、みたいなことだと思うんです。色々抽象的な方がいいです。たとえば、山の頂上にたどり着いたとき、面白い石が積んであるなと感じたとする。普通の生活に戻った後、その石を積んだ人にばったり巡り合った、とかね。そういうのが、つながるってことじゃないですか。たとえ一緒にいても、つながっていない人はいっぱいいます。「予期せぬときにつながっていたんだ」とか「今つながったんだ」とかが、人間としては一つの美学みたいなものかもしれない。
僕は日本民藝館の館長をしていますが、全然知らなかったものに巡り合ってつながったと感じることがある。作者はわからないけれど、その人とつながっている。フィジカルなものだけじゃなく、人はそういうつながりを求めているんじゃないですかね。人が作ったものだったら、その人の何かが残っているんですよ。民芸だけでなくて、人間の身体を基準にしているものは、その側面は大きいと思います。僕は家具もたくさんデザインしていますが、心地いいか悪いかみたいな点で、つながろうとしてもつながれないみたいなこともある。同じセンサーが働いているという意味では「この人は心地いいものが作れるから優しい人かな」みたいな感覚もあるかもしれない。


――プロダクトに限らず、気になる「つながるしるし」はありますか?


最近、平野啓一郎さんの『富士山』という短編小説を読みました。すごく感動して。婚活サイトの話なんですけどね。ああいうサイトって、相手を条件から割り出しますが、パートナーになりそうな候補を常に疑うというか、客観的に見ながら交際をしていく。物語はその途中で起きたハプニングによって、関係がダメになるというものです。結末は感動的だから言いません。コンピューター上のつながりって、簡単にバサッと切れるんですよね。「失礼します」と言ったら、相手も特に気を悪くしないで切れる。これまでの、自然に巡り合った人同士のように、流れに身を任せてつながることとは逆のことが、今コミュニケーションのなかで起きている。
それをきっかけにした小説です。今、そういう時代に生きているじゃないですか。みんなつながっているし、海外とも瞬時につながれる。会話は簡単にできるし、AIが修正してより優しい言い方とか、きつい言い方とか、丁寧な言い方とかにしてくれて、キャラクターも作り込める。でもそれは本当につながったんだろうか。ちょっとフェイクじゃないですか。でももともと、人間同士なんてフェイクなつながりかもしれないんですよね。ちょっと哲学的な話になってきてしまいましたが、でもつながるって、そういうことだと僕は思います。これまでの「しるし」のような、定型のハンコやその周辺だけでなく、もっと自由に拡大できるかなという予測もありますし、期待もしたいですね。



取材・文:角尾舞