制約があるから自由につくれる
このコンペは「しるし」という、すごくミニマムで簡潔なテーマが設定されていますが、個人的には制約があるからこそ、その枠組を広げながら自由に作れそうだなと思います。第14回のテーマが「『 』を表すしるし」と「表す」だったのに対し、今回は「感じる」になっています。感じるというのはとても不確かで、おぼろげです。私はこういう抽象的なテーマ設定がすごく好きですし、今までとは違う質のものが出てきそうな予感がします。表すだと、的確に物事を伝えなければならない印象がありますが、感じるだと幅が広くて、断定しなくてもよいから、不思議な立ち上がりのものができそうだなと思いました。いろいろ考えやすそうです。
これまで少し不思議だったのが、募集要項には印鑑やハンコじゃないといけないとは書いてないのに、手に収まるサイズの、なにかに押せるものがメインでした。「しるし」という単語からはサインや矢印も浮かびますし、チェックマークのようなものもあるでしょう。それ以外にも自分の身体が入っちゃうくらいのサイズだとか、自然物だとか、一回しか使えないとか、二度と同じものがつくれないとか、そういうしるしもあるよなぁって思ったんですけれど、あまり見たことないなと。少しおとなしめかなと。それはもしかしたら、これまでは商品化を前提としていたからかもしれません。商品にしてもらう幸せもありますが、そこには収まらないような面白くて価値のあるしるしって多分いっぱいあります。今回は評価基準が商品化ではなく「企画の実現性」に変わったので、大量生産に縛られる必要もないですよね。
私の周りの面白いデザイナーたちは、一点物で販売するような方も増えていて、プロダクトデザインだからといって何千個も作るわけではなくなってきています。デザインでもそういう道があることがすでに証明されて、確立されてきています。だから今回、少し変わったらいいなと思っています。
コンペは思考の体操
初めて審査員として参加しますが、学生たちのアイデアからも、今自分たちが生きている時代の相対的なものが見える瞬間があったり、それが自分に返ってくる感覚があったりするので楽しみです。審査会というのは、クリエイターの方や、プロを志している方が本気でアイデアを考えたとき、どのようなメッセージをものに乗せるかが見られる機会だと思っています。審査をする側とされる側ではあるのですが切り離されてはいなくて、自分の作品にも跳ね返ってくるので他人事じゃないというか、繋がっているなと。
コンペに応募する方としては、誰が審査員なのかは大事ですよね。職業問わず、「え?この人が!?」みたいな、いまの時代を鮮やかに彩るような方々が加わると面白いかなと思っています。テーマとリンクする方が入るのもいいですよね。生物学者とか、哲学者とか、現代アーティストとか、デザイナーたちに混ざって、全然違う視点から審査してくれそうな方がいると、視野が広がりそうだなと。いろんな審査員のメッセージを事前に聞いて、アイデアを膨らませるのもよさそうです。
コンペはグランプリを獲ることが一番の価値だと思われがちですが、一概にそうすべきではないと私は思っています。コンペには思考の体操みたいな部分があります。応募の過程で何を考えて、どんなことを吸収するかみたいなところまで含めて設計できるともっと豊かになりそうです。そういうコンペは、あまり見たことがないような。
一番遠くにある「しるし」
パンデミック以降、自分の働き方も変わって、打ち合わせは画面内で終わることも増え、ほぼほぼ同じ人にしか会わなくなってしまいました。出かける場所も限られて、職場も前より早く追い出されます。私は少し生きづらさを感じています。あまり便利になったとは思っていないんです。これまで一見無駄に見えていたような、新しい日常で引き算されてしまった部分に、自分のクリエイティブのすごく大事な部分が詰まっていたのだなと気づきました。いらないと判断されて効率的になったら、消えてしまって。雑味だと思っていたら、実は旨味だったみたいな。情報が狭まってルーティンにはまってしまうと、削がれてしまうものがあります。
今回のコンペも、応募する人も審査員も、固定観念を取り払って「しるし」の幅をどこまで広げられるかを試されていると思います。しるしという言葉をびょーんと伸ばして、そのなかでどれだけ遊びながらつくれるか。楽しみながらつくると、見る人にも伝わります。「これもしるしだ」って言えるなかの、一番はじっこで一番遠いところにある「しるし」を探して来ましょう。自由に考えてほしいですし、ワクワクするような提案が見られるとうれしいです。そして、目からうろこを落としたい。自分ももっと面白いものをつくるぞって思いたい。そういう刺激がほしいですね。刺激物を求めています。
取材・執筆:角尾 舞