心を表す解像度

心の世界って、描写の解像度がすごく低いと思うんですよね。ものの形状や機能性の表現に比べて、どうしても自分の心を基準にするからか、ボキャブラリーが少ないものが多い。だから今回の「こころを感じる」は漠然としたテーマだなと思いつつ、心の捉え方の解像度が高まるようなものが生まれるといいのかなと思っています。曖昧な心というものに向き合う意味があるとしたらそこかなと。
例えば「愛」っていっても、その愛という言葉の概念を見る解像度が高まるといいですね。僕は情動的なものが比較的苦手なタイプなので、自分ではなかなか作れないですけれど、たまに映画や小説で見つかる瞬間もあります。そういう作品はやっぱり心の描写に対する解像度がすごく高くて、これまであまり見えていなかった人間の心の部分が明らかになる感動があるんですよね。ただそれをプロダクトのようなかたちで見せるのは至難の業なので、もしかしたらないものねだりの願望なのかもしれないですけれど。ボキャブラリーが少ないなかで心のポエムを書こうとすると、どうしても荒くなるんですよね。LEDが一つ点灯することに対して「そこまで思う?」みたいな過大な思い入れを伝えてくるアイデアなどはすごく多いです。

みんなインターネット人間

毎年言っているかもしれませんけれど、もう今の人類はほとんどみんなインターネット人間になっています。だからデジタル的なものやインターネットが当たり前にある前提で、改めてフィジカルなデザインにどんな可能性があるかを探るのが一番面白そうだと思っています。あとは、自分自身のアイデンティティと、ネットやデジタルが新しい関係を結ぶようなデザインの方法論があるのかどうか。僕個人としては脈があるか微妙だなぁと感じつつ、このコンペ的にはそういうのも求めているはずなので、ポストデジタル的な世界での新しいフィジカルなデザインの萌芽を見てみたいです。
先日、ある対談でSNSについて話したのですが「SNSに興味はないのだけれど、何か発信しないと自分が存在しないことになるから、義務感で続けている」とおっしゃっているのを聞いて、それにすごく共感したんです。僕も半分は好きでやっているけれど、手を上げ続けないといけないプレッシャーに苛まれている部分も大いにある。自分をしるし続けないといけない、というしんどさがあるんですよね。SNSが一般的になって10年くらい経って、いいところも悪いところもだいたい一周して、定常的な状態になりつつあります。飽きているとも言えますけれど。それを打破するような、ポストSNSのような存在のあり方はまだ誰も知らないと思います。「誰か考えてくれないかな」とは感じています。

大喜利を超えたしるし

SNSにおいては個人を示すしるしが丸いアイコンに落ち着いたり、あるいはアバターだったり、自分を画面上でビジュアライズするためのいくつかの方法があると思うんですけれど、その形式そのものみたいな新しい存在が生まれると最高なんじゃないですかね。ハンコもその一つだと思うんですけれど、「このしるしはすごく普遍性があって、みんな使えるじゃん」みたいな、そういうものができたらいいと思います。今までの提案で多いのは、ハンコや印鑑をお題にしたり、アイコンと他のしるしをミックスしたりというアイデアなんです。ハンコの大喜利ですね。あくまでハンコ自体のイメージはぐらつかせず、どの角度から切り込むかみたいな印象です。それはそれで面白いのですが、発展性がどこまであるかというと微妙だなと。だからすごく夢想的なことを言うと、そのほかにあるしるしの可能性が見つかると革命的だと思います。 受賞作品も、モダンデザインの特徴的な形態を操作しながら、少し本来の機能と外れたところで詩を書く「デザインポエム」のようなものが多い。たぶん、審査会場という空間で見たときに「あ、いいじゃん」って思うまでの時間がちょうどいいんですよね。審査員がパって見た後に一瞬だけ疑問に思って、コンセプトに気づくまでの時間軸が。それはもしかしたら、今の審査のやり方の限界なのかもしれません。特に今回変更があるわけではないですが、10秒くらいのプレゼン映像で見せるような方法もいい気がします。昔は映像を作るハードルが高かったけれど、今は誰でも普通にできますから。コンペ自体のフォーマットも更新してもいい時期なのかもしれませんね。

 

取材・執筆:角尾 舞

ニュース一覧に戻る