ハンコじゃないしるしの価値とは?

今回のテーマは「こころを感じるしるし」ですが、今までよりも大きな観点からこのコンペに取り組みたいと思いました。目で見たり、耳で聞いたり、あるいは手で触ったり、鼻や口から感じたりするものまで、幅広い「しるし」がどのように人間の心を動かしていくのかに興味があります。
これまで14回このコンペを続けてきていますが、やはりハンコに関連する提案はどうしても多いです。「シヤチハタ=ハンコ」という部分は、当然ありますからね。ハンコでなかったとしても、第12回で米田隆浩さんの「Shachihata PAPER」という、朱肉の朱色を大胆に用いた作品が準グランプリを獲得したら、ここ2年ほどは朱色がテーマの作品がかなり増えました。どうしてもハンコ、朱肉、スタンプ台、というアウトプットに偏りがちです。そろそろ、しるしの幅を広げていきたい気持ちが強くあります。
私たちの製品は、ゴムやインキ、プラスチックなどの素材そのものから開発しているものも多くあります。それぞれの商品に合うように、素材のレシピを変えているんです。なので、例えば衛生用品などへの応用もあります。「おててポン」という商品は、子供の手に押して手洗いの習慣を学ぶためのスタンプです。ずいぶん前から販売はしていたのですが、皮肉にも近年の感染症の拡大で背中を押されました。シヤチハタはハンコをきっかけとしながら、ステーショナリー以外の領域にも足を延ばしています。ですからこのコンペに関しても、いきなりは難しいかもしれませんが、少しずつステーショナリーだけの領域から離れたい意識はあります。むしろ「ハンコじゃないしるしの価値」を、コンペを通じて教えていただきたいです。そして同時にものとしての製品だけでなく、サービスやコトを含めたしるしについての提案も歓迎です。もちろんこれまでの製品化と同様に、運営や実施も積極的に考えていきます。

少しずつ変化を

今社内で進めているサービスに関しては、SDGsなどの観点も取り入れたものを企画中ですが、環境問題や社会問題にまつわるアイデアは、このコンペではまだそこまで増えていない印象です。過去にいくつか提案はありましたが、総合的な判断で授賞までは至りませんでした。私たちとしては決して軽視しているわけではなく、むしろ期待をしています。
今回から審査員として三澤遥さんに参加いただくことになり、今後の運営に関する新しい提案もいただきました。次回以降になりますが、三澤さんにご提案いただいた、テーマに沿った方を特別審査員に入っていただくことはぜひチャレンジしてみたいです。「今年はこの方が特別審査員だから、絶対に応募したい」というような流れが作れたらうれしいですし、審査員同士の新しい出会いによって生まれるものにも期待しています。

押印は文化

しるしというのは、シヤチハタの理念を語る上で大切なキーワードです。私たちはモノだけに留まらずサービスも含めて、便利で楽しく安心安全な、世の中にあらゆるしるしを提供したいと考えています。これまで60年ほど、ゴムにインキが浸透しているスタンパーを販売してきましたが、1995年からはデジタル上で決裁するソフトウエア「シヤチハタクラウド」も開発して製品化しています。パソコンやタブレットなどのデータ上に、紙の上と同じように日付印やネーム印を押して、決裁していく仕組みです。社内での申請や承認などでは印鑑やハンコが使われることが多くありましたが、そのプロセスをまるごと電子化しました。実はこのサービス、ハンコ屋だから印鑑を押す仕組みを推しているわけではなく、ユーザーの圧倒的な意見を反映した結果なんです。データ上でのやり取りなので、当たり前ですが、セキュリティ上は印鑑なんて必要ありません。でも合意や合図、認証などを示すしるしがないと、わかりにくいと感じる人が多いようなのです。単純に視覚的なものですが、それに安心するんですね。欧米には印鑑がなくサインですが、欧米の電子決裁では、やはり手書きのサインを乗せるんですよね。書類がのっぺらぼうだと、不安なんだと思います。リモートワークが進んだ結果、脱ハンコで三文判と呼ばれるようなものはかなり減っていますが、押印という行為は文化として残ると私は思っています。婚姻届などもそうかもしれませんが、大事な書類へは朱色の印を押したいという気持ちは、もはや日本文化なのかもしれません。

取材・執筆:角尾 舞